COLUMN
家族写真
2022.9.17寝る前にAmaz◯n prime videoを開いたら嵐の二宮くんがNikonの一眼を構えてる映画の画像が出てきて、その表情が何故か気になり、冒頭だけ見て面白そうだったら続きは後日ゆっくり見よう、ってな感じでポチっと押したらいつの間にか物語に引き込まれていた。
コメディタッチだった雰囲気が途中突然一変する。
瞳から涙を溢しながらシャッターを切るシーンにはもらい泣きした。
「家族写真」とは何か考えさせられた。
もちろん、写真はクライアント本人たちやカメラマンの趣味や好みで撮ればいいし、正解はないのだけど、一体何を考えさせられたのか。
最近は綺麗な家族写真がSNSに溢れてて、見ていて凄いと思っていたし、自分もそんな写真を撮りたいと思って撮っていのだけど、家族写真って「人に見せるため」でもあると同時に、将来自分たちが見てその時代を懐かしいと感じたり、家族だけが知っている思い出が蘇ってくるような、そんな写真が本来の家族写真のあるべき姿なんじゃないか、と思ってしまった。
いや、美しい写真を否定している訳じゃなくて、「写真の奥深さ」みたいなものを改めて感じたので、写真の一つの在り方として書いてみただけなのだけど、ふと先日撮った自分の着物の写真を思い出した。
体調が思わしくなく薬を飲んで安定させ、作り笑顔で写真に収まった。
ライティングもしてバッチリ撮った。
「着物似合ってますね」っていろんな方からメッセージを頂いた。
でも、「本当の今の自分の姿」を表現しているか、と言われたら、答えはノー。
結局その晩、この映画を最後まで見てしまった。
さあ、寝ようと思って歯を磨く。
ふと鏡に映った自分の姿を見て思った。
これが「本当の自分だ。」
実物よりよく撮れた写真がいい写真なのか。
その人のその時をその人らしく残すのがいい写真なのか。
考えても答えがないのが写真、いや、アート全般に言えること。
僕はなんとなく鏡に映った自分をスマホで撮ってみた。
スマホの写真の方が今の本当の自分が写っていた。
でも人には見せられない写真。
そんな自分の写真を見てふふっと笑って、その日は布団に入った。